吾平山陵は、神武天皇のご尊父のウガヤフキアエズノミコトと、そのお后のタマヨリヒメの御陵です。その御子の神武天皇の生誕伝説地は肝付町宮下にあり、立派な石碑があります。
ところが、ウガヤフキアエズノミコトの生誕伝説地については、ほとんど知られていません。緑河創生著「大隅 昭和写真帖」(南方新社、平成19年発行)に、それは肝付町の津曲にあると書かれています。
その本によると、場所は森園神社跡(森園正吉家裏)で、この集落では竜神宮といい、別名ヘビ宮の呼称があります。昔はその神社の境内は古墳であり、石棺の一部が露出し、蓋石が3枚あったそうです。
地元の人に尋ねながらたどり着いたその生誕伝説地は、昭和13年の大水害前は肝属川が大きく蛇行した所です(下図)。赤色の改修前の河川の形から、津曲という地名の由来がわかります。川を挟んだ北側には、県内最大規模の140基の唐仁古墳群があります。南側には、日本最南端の前方後円墳44基からなる塚崎古墳群があります。
現在のウガヤフキアエズノミコトの生誕伝説地には、昔あった古墳と神社は無く、孟宗竹林に石棺の蓋石3枚のうちの1枚があるだけでした。この蓋石の石板は花崗岩で、ご自分のお墓がある吾平山陵を向いています。この生誕伝説地の案内板や說明板はありません。
また、普段は雑草が生い茂っているので、石板を見つけるのも、見つけてもそれに近づくのも容易ではありません。
地元の人の話では、「ここはトヨタマヒメが柏原で安産祈願のシオガキをして帰る時に急に産気づいたため、地元民が急いで孟宗竹で産屋を造って差し上げて、ウガヤフキアエズノミコトを出産した場所である。出産時はウガヤフキアエズノミコトが大蛇であったので、皆が恐れおののいてひれ伏した。」と伝えられているそうです。以前は、しめ縄で蛇の姿にして飾る祭りがありました。
高山郷土誌(平成年4月1日発行)には、「森園神社は小高い円墳の上にあって、むかしからお産の神様として崇拝されてきた。ここで、うがやふきあえずのみことが誕生されたと伝えている。」と書かれています。
なお、3枚の蓋石の1枚は、「平田明宅庭横の道路沿いにイボの神として」いる石碑です。
残る蓋石の1枚は「田中昇宅隣接のT字路角に安産の神として祀ってある」石で、田中宅横に生け垣に囲まれてあります。ここは別称が観音様で、ウガヤフキアエズノミコトが生まれた場所でありイヤ(胞衣)が祀ってあり、朱が埋めてあると伝えられています。
(文責:朝倉悦郎、2025.01.12に加筆)