「一反木綿(いったんもめん」)は、肝属郡高山町(今の肝付町)に伝わる妖怪です。現地では「いったんもんめん」と言われています。
約一反(長さ約10.6メートル)の木綿のようなものが、夕暮れ時に飛んできて、人を襲うとされています。

肝付町では一反木綿がよく現れるといわれる神社(四十九所神社など)があり、子供たちがその神社の前を通るときには、一反木綿が最後尾の子供を襲うと信じられていたため、子供たちは誰よりも先に走って通り抜けたと言われています。

肝付町の郷土史家で大隅史談会顧問の竹之井 敏先生は、地元の民話を子供たちに伝えるために、2007年より一反木綿の紙芝居を製作して活動されています。


一反木綿は、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場したとして、一躍有名になりました。しかし、2つの目と2本の腕を持つ布は水木しげるの創作であり、肝付町に伝わる目も手もない一反木綿とは異なるようです。

以下の写真は、鳥取県の”みなとさかい交流館”にある「ゲゲゲの鬼太郎」の巨大イラストボードです。一反木綿に似た白くて長いものが飛んでいます。


一反木綿の記述は、肝付町出身者で、夏目漱石の弟子の中でも特に漱石に可愛がられた野村伝四の著書『大隅肝属郡方言集』の中にあります。


野村伝四の墓は、肝付町の長能寺跡にあります。墓石の裏面には、伝四の新婚を祝って、漱石が贈った俳句「日毎ふむ艸(くさ)芳しや二人連」が刻まれています。

漱石の妻である夏目 鏡子の本『漱石の思い出』(文春文庫)には、俳句を贈った経緯が以下のように書かれています。
” 野村さんの新婚に何をお祝いにしたらいいか、そんなことを夏目が申しておりましたので、
「何をといってもありふれたものばかりでつまらないから、いっそのこと貴方俳句をお書きなさい、それを袱紗に染めさせましょうから」と申しますと、
「おまえにしては珍しくいい考えが出たな」とか何とかひやかしながら、それにきめました。その時の句が、
  二人して雛にかしづく楽しさよ  漱石
ともう一句あったのです(注:日毎ふむ艸芳しや二人連)が、それは忘れてしまいました。つごう三枚染めて、二枚を上げて一枚私自身使っていたのでしたが、それもいつの間にやら姿を隠してしまいました。」”


(文責:朝倉悦郎)