お墓が吾平山陵である「ウガヤフキアエズノミコトの誕地」が、肝属郡肝付町の津曲にあると、緑河創生著「大隅 昭和写真帖」(南方新社)に書いてあります。
場所は肝付町津曲の森神社跡で、昔はその神殿内の古墳に石棺の一部が露出していたそうです。現在は、古墳は崩されて、孟宗竹林に石棺の蓋3枚のうちの1枚があるだけです。
対岸には唐仁古墳群があります。ここは案内板や説明板がないので、分かりにくい場所です。


肝属川が志布志湾に出る河口近くの両側の高みに、向かい合うように「神武天皇御発航伝説地」の石碑があります。いわゆる”神武東征”への船出の地です。
一つは、東串良町柏原にある戸柱神社に至る階段を登った右側の境内にあります。


もう一つは、肝付町波見の戸柱神社横の長い階段を登り切った権現山中腹の花崗岩の上にあります。

なお、神武天皇が日向国を出立なさった当時の日向国は、薩摩国・大隅国・日向国全部を含んでいました(西暦713年に大隅国として分立)。