日本百僧の一人に数えられる名僧の玉山玄堤(ぎょくざんげんてい)和尚は、若い頃に京都南禅寺の大明国師の跡とりとなり、後に2回唐に渡って修行しました。

2回目の帰国の際に暴風雨に遭って浜田海岸に漂着し(浜田海岸に「玉山禅師上陸之地」記念碑がある)、海岸近くに「呑海庵」を建てました。

その後に大姶良城主の楡井頼仲の招きにより、大姶良に「竜翔寺」を建立して初代住職となりました。

さらに、楡井頼仲に請われて志布志に禅寺の「大慈寺」を興国元年(1340年)に開山しました。現在、残っているのは「大慈寺」だけです。