垂水史談会では、毎月、現地研修会を開催して史跡を見守り、その伝承や意義を参加者に伝える活動を始めました。今回は桜島に近い海潟地区の江ノ島や菅原神社などを回りました。

鹿児島湾に浮かぶ江ノ島を前にして、公家の近衛信輔(このえのぶすけ)にまつわる話を聴きました。文禄3(1594)年、近衛信輔は天皇の怒りに触れ、薩摩国の坊津へ配流されることになりました。福山から山川へ向かう途中風雨に阻まれて、海潟に10日間、滞在を余儀なくされ、「公卿石」に腰かけて景色のよい弁天島(今の江ノ島)や海岸を眺めたと伝えられています。

菅原神社(左の写真)には、「櫻島焼亡塔」があります。安永8(1779)年10月1日、桜島が大噴火し、噴煙により雷がとどろき、稲妻が走り、あたりが暗闇になった状態が7日7夜続き、麓にある村落を延焼しました。垂水島津家の領主(貴澄公)は役職にある者に命じて、舟で桜島の島民1,500有余人を救済しましたが、噴火によって焼死したものは174人でした。「櫻島焼亡塔」は噴火によって焼け死んだ者たちの冥福を追善供養した記念碑です。さらにこの神社の横には、小学校があったこと、そして中学校校門の痕跡もあって話に花が咲きました。
また、海潟のトンネルの南は戦時中、250tクラスの戦時標準型木造船の造船所があったエリアです。当時の歴史や新聞報道の看板の前で説明、研修を行いました(右の写真)。