日本百僧の一人に数えられる名僧の玉山玄堤(ぎょくざんげんてい)和尚が、大姶良城主の楡井頼仲の招きにより、鎌倉末期に大姶良に「瑞雲山龍翔寺」を建立して初代住職となりました。

当地方で最も古い寺です。この寺は560年ほど続きましたが、明治初年からの廃仏毀釈で壊されてしまいました。

この寺には、大隅の守護(今の県知事)となった6代島津氏久(1328~1387年、南北朝期)の供養塔と遺命(死ぬ時に残した命令)により氏久夫婦の墓塔もありましたが、昭和50年ころに鹿児島市の島津墓地に移されました。今は大きな石柵だけが残っています。

大隅史談会の『大隅』(1963年)に、墓塔などがあった当時の写真が載っていましたので、写りが鮮明ではありませんが、以下に現在の石柵の写真と並べて示します。

石柵の横には小さな共同墓地があり、そこには池田俊彦氏(学習院大学教授、県立第二鹿児島中学(現甲南高)校長、県教育会長)の墓の他に、五輪塔や古い自然石の墓などがあります。

なお、龍翔寺跡は大姶良東集落センターの近くにありますが、案内板もなく分かりにくい場所です。地元の人に尋ねて行ってください。