11月19日(日)に大隅史談会の現地研修会が開催されました。一般応募の方24名、史談会役員6名の合計30名が参加しました。史談会の役員と現地の講師よる案内・説明で、都城市にある都城歴史資料館、高城郷土資料館、兼重神社、曽於市にある肝付竹友の墓、芙蓉之塔を見学しました。
1 都城歴史資料館のある都城跡(都城市都島町)
中世から近世にかけての大半の期間を、島津氏から別れた北郷氏が治めた居城です。永和元(1375)年に2代北郷義久によって築かれたといわれています。秀吉の命により伊集院忠棟が領することになりましたが、庄内の乱で伊集院一族が滅亡したので、北郷氏が復帰しました。その後、都城島津家と名を改め、島津八家の一つとして、明治維新まで存続しました。
資料館では旧石器時代から現代までの歴史が紹介されています。外庭には肝付氏の宝塔と北郷氏の供養塔が移設されています。
2 高城郷土資料館(都城市高城町)
都城市高城町制施行50周年記念に開館した資料館で、高城の歴史・文化・民族などの資料が分かりやすく工夫されて展示されています。一階正面に、南北朝時代に五辻宮から錦の御旗を授与される月山日和城城主の肝付兼重の様子を復元しています。延元4(1339)年に北朝方の畠山軍に落城されて、兼重は髙山に退きました。
3 兼重神社(都城市三股町)
畠山軍により月山日和城城主が落ちた際に、兼重は討死する覚悟でしたが、家臣の江田家定と実子が兼重親子の替え玉として切腹して、兼重親子を助けました。この武将の犠牲があったから、肝付家は戦国時代まで続きました。ここにある五輪塔は江田家定の墓と伝わり、地元では「腹切りどん」と崇めてきました。そして兼重神社と命名して、一族や家臣の石塔とともに祀っています。
4 肝付竹友の墓(曽於市末吉町)
天正元(1573)年正月、肝付軍と北郷軍が末吉国合原で合戦を行い、肝付軍は大敗します。その時、肝付軍の大将として志布志地頭の肝付竹友が出陣していましたが、討死しました。現在、竹友原と呼ばれるところに、肝付竹友の墓と供養塔が建てられています。三層塔の供養塔に竹友の文字が刻まれています。
5 芙蓉之塔(曽於市大隅町)
芙蓉之塔は、太平洋戦争末期の昭和19年に造られた岩川飛行場の発着所にあります。静岡県の藤枝基地で編成された、美濃部正少佐率いる芙蓉部隊(夜間銃爆撃の部隊)により使用され始め、沖縄方面に出撃しました。
美濃部正少佐は、特攻に対して異議を唱え、合理的な戦法として夜間爆撃を強く主張して、これが上司に認められた人物として知られています。戦後、慰霊塔「芙蓉之塔」を建立し、藤枝基地以来の戦没者105名の御霊を祀っています。
高城郷土資料館一階にある「錦の御旗」の展示の前で、参加者の記念写真を撮りました。