11月13日(日)に大隅史談会の「現地研修会」が開催されました。
垂水市文化会館に参加者29人が集合しました。垂水史談会の町田猛会長から歓迎の挨拶をいただいてから、垂水史談会の川崎あさ子氏と大隅史談会会長の瀬角龍平氏の案内で、垂水市内の史跡をバスで巡りました。
最初に心翁寺跡にある国の文化財「垂水島津家墓地」に行き、16代までの領主の宝篋印塔(ほうきょういんとう)型の墓石、六地蔵等、隣接する墓地にある家臣団の墓を見学しました。
次に急坂を登った薄暗い山中にある福壽寺跡に行き、「故垂水宰川上周賢子墓碑」を見学しました。墓碑の主人公である川上忠實は、小説になるような波乱万丈で武勲が多い生涯でした。最後は、主君・四代領主久信に跡目相続に関して諫言(忠告)して怒りを買い、久信手づから誅殺された家老職でした。遺骨を家臣団の墓地に葬ることを許されず、ここに葬られました。
海岸近くにある「第六垂水丸遭難碑」では、戦時中の昭和19年2月6日に540名の死亡者を出した、第六垂水丸の転覆の顛末と当時の救助の状況や多くの人間ドラマを聴き、胸が締め付けられるようでした。
昼食は有馬邸で銀杏おこわと吸い物をいただき、西郷隆盛、勝海舟、東郷平八郎の書を見てから、垂水の伝統芸能である「中俣の川踊り」を瀬角会長と新原清美氏が舞うのを見物し、拍手喝采の盛り上がりとなりました。
午後は桜島方面に向かい、最初に海潟の菅原神社にある「櫻島焼亡塔」が、桜島の安永の大噴火(1779年)により死亡した人(碑文には174人と刻字)の供養塔であることと、当時の悲惨な災害状況と教訓を学びました。
次に桜島の大正大爆発の降灰で埋まった「埋没鳥居」と、壇之浦の戦いで入水したが最終的に牛根に漂着したと地元に伝わる「安徳天皇の陵(みささぎ)」を見学して、現地研修会を終わりました。
関連の資料は、本ホームページの「現地研修」にあります。