8月22日に「鹿屋ふる里探訪会」の17名で、垂水市新城地区と鹿屋市花岡地区の史跡巡りと座学をしました。

最初に垂水市の新城地区の史跡を、大隅史談会会長の瀬角龍平氏が案内しました。「新城島津家のお館跡と松尾城跡」、村民から尊敬を集めた「島津16代義久の次女・お玉の墓(宝篋印塔)」を見学してから、

領主と家臣たちの「新城島津(末川)家墓地」を回りました。

名領主が続いたり粗暴な領主が出てお家断絶になったり跡目相続争いがあったりと、いつの時代もお家を安泰に維持することは容易でないと思いました。荒平石で作られた石橋「笹山橋」も見学し、地元の方々が大事に管理されていることを知りました。

その後は大隅史談会理事の小手川清隆氏の案内で、鹿屋市花岡町にある「根木原の古石塔群」に行き、南北朝時代の楡井氏の守る木谷城を攻めた際に、禰寝氏が死後の冥福を祈って建てたと思われる五輪塔などを見学しました。

続いて、「花岡島津家累代墓地」に行き、歴代領主夫妻の墓を見て回り、花岡島津家の第2代久尚の岩子夫人の墓前で、夫人が自費で用水路を造り20余町歩を開田したとの説明を聞きました。

その後、花岡町の浄福寺に行き、藤園智信住職から小型阿弥陀如来尊像を紹介していただきました。この仏像は高さ17ミリの非常に小さい木像で、本堂にある本尊と同じ姿に精巧に彫られています。これは文政7年(1824年)、花岡島津家6代の島津久誠の妻・時子が嫁ぐ時に、日置島津家の両親から渡されたものと伝えられています。一向宗が禁じられていた時代に、取り締まる側の藩主一族の中にも密かに信仰していた人がいたことを示す貴重なものです。

午後は、東地区学習センターで、井上光徳氏による「薩摩外城制度について」と、内倉武久氏による「本当の大隅の歴史」と題するお話を各1時間聴講しました。

今回は、薩摩藩の慈悲深い女性たちの話が印象に残る研修でした。