10月23日(土)に鹿屋市田崎地区学習センター主催の「史跡めぐり ~大姶良方面~」がありました。
新型コロナウィルスの感染防止対策として、定員の半分の参加者10名がバスに乗り、永野田町、南町、獅子目町、大姶良町、横山町他の史跡を回りました。

今回見学した大半の史跡は、戦乱に明け暮れた南北朝時代と戦国時代のものでした。そのため、供養塔や本人が生前に作る逆襲供養塔や墓をたくさん見ました。

中でも哀れを誘ったのは、「横山の合戦」で大姶良一族に勝ち、戻る城の近くで竹藪から出てきた敵の残党に殺された肝付兼成の墓、その兼成に負けて横山将監(しょうげん)が切腹した所にある将監塚、秀吉を暗殺しようとした「梅北の乱」に連座した咎で一族63名と共に斬殺されたという大姶良地頭・伊集院三河守久光の追善供養塔および命を救おうと逃した久光の一子が護衛の家臣に殺された話しです。

城主の入れ替わりが多かった大姶良城は、高山本城と双璧をなす大隅の代表的山城です。その近くには、島津6代氏久と7代元久にまつわる次の史跡があります。氏久夫妻の墓があった龍翔寺跡、氏久が元久の成長を願って建てた八幡神社、元久誕生時の胎盤(イヤ)を埋めた場所にあった篠塚板碑です。

多くが江戸期に作られた民間信仰の石像や石塔もありました。造形美や古さ、希少性で第一級の文化財です。

永野田町では、大隅国の国司が大隅隼人に襲われて亡くなった所と伝わる国司塚、珍しい造形の田の神、大隅線の旧永野田駅跡、約100年前の誘致企業を引き継いで現在も操業している澱粉工場を見ました。

仁王像などの石像群で有名な南町の含粒寺跡では、町内会長さんの勧めで、数名が廃寺の釣り鐘を打ち鳴らしました。

今回、1年ぶりに小集団で史跡巡りをして、参加者間の交流が楽しいことも、あらためて感じました。