4月27日にノルディックウォーキングと史跡巡りの愛好者たちによる「高山のまち歩き」がありました。大隅史談会の小手川 清隆理事に、高山の見どころを案内していただきました。

最初に、江戸時代に高山地頭・島津久通が高山川上流から用水路を整備して、2000石の広大な新田開発をもたらした功績を讃えた碑である「高山新溝記」を見学してから、近くにある屋治橋を渡って9代・肝付秋兼が創建したと伝わる「南方神社」に行きました。

盛光寺跡にある「肝付氏歴代の墓」で、544年間の肝付氏盛衰の歴史をうかがいながら、8代兼重から17代良兼までの墓を見学しました。次いで「竹田神社(旧日新院)」に移動し、16代・肝付兼続の妻の南御前が父の日新斎(島津忠良)・母・弟を慕って日新院を建立したが、廃仏毀釈後に神社となった経緯を知りました。西南戦争での戦死者の忠魂碑もありました。

大隅線の駅として大正9年に開業し、昭和62年に廃駅となった「高山駅の跡」で展示物を見たり休憩してから、「高山橋」に行き、流鏑馬の巨大モニュメントと高山川水害史碑を見学しました。

旧道に入り、江戸時代に商人町であった「野町」に行き、税金対策として間口の狭い細長い敷地が現在も残る町並みや、道路の通行人を守る塞神碑を巡りました。

流鏑馬で有名な四十九所神社にお参りして、南北朝時代に肝付兼重に与して南朝方として戦い武功をあげ、神社の裏山に弓張城を築いた楡井頼仲の表忠碑も見学しました。

最後に今回のハイライトである、大隅半島で最高の石高(300石)であった郷士・日高家の再建された武家門を見学しました。奥様が日高家出身の古瀬徹・鹿児島国際大学教授が鹿児島市からいらして、武家門再建の経緯やご苦労を話してくださり、再建の報告書をいただきました。エピソードとして、明治7年に西郷隆盛が日高家に宿泊されたこともうかがいました。

史跡以外に、高山で人気の食の2店も巡りました。ボリュームとやすさの老舗「米沢食堂」とスティックチーズケーキの「シエスタ」です。「シエスタ」では柔らかくクセのないとろけるスティックチーズケーキを試食させていただきました。

今回の参加者には、初めて知る高山の歴史の数々の他に、美味しいスティックチーズケーキの振る舞いまであり、多くの学びと思い出が詰まった「まち歩き」となりました。