4月10日に「鹿屋ふるさと探訪会」の15名のメンバーが、橋口満先生の案内で志布志市にある松山城址と麓地区を歩いてめぐりました。橋口先生は、鹿児島の方言や歴史の研究で高名な方です。
松山城は、文治4年(1188年)平武蔵守知重の子、平隠岐守重頼が築いたとの伝承がありますが、定かではありません。
かつては本丸・二の丸・五兵衛城・八幡城の四郭に区分されていましたが、昭和43年の宅地造成により、現在は二の丸の一部を残すのみとなっています。
二の丸跡には模擬天守と神州不滅の碑が建っています。
二の丸の入り口には、珍しい一石の六地蔵があります。六地蔵は衆生の苦悩を救済するといわれています。
松山神社は、地域開発のために、松山城址の一角に遷宮(移設)されました。
松山町馬場の麓地区には、武家門のある屋敷と庚申塔があります。
庚申塔は、廃仏毀釈の時に青面金剛の顔が壊されました。子供の百日ぜき・麻疹等が流行った時、庚申塔に赤いよだれかけを掛けて、それらの病気にかからないように祈ったといわれています。