11月15日(日)に大隅史談会の現地研修会が開催されました。肝付町本城集落センターに、一般応募の方32名、役員7名の合計39名が集合しました。福谷平副会長による案内・説明で、柳井谷の陣跡、高山城跡、道隆寺跡を見学しました。
柳井谷の陣跡は、永正3年(1506年)に11代島津忠昌が高山城主の14代肝付兼久を攻撃したときに本陣とした所です。息を切らして細い山道を登った所にあり、合戦後、土地の人々が折れた矢を拾い集めて納めた「矢塚」が残っています。この合戦で高山城は陥落せず、島津軍は鹿児島に引きあげました。
次に、高山城跡のいくつかの曲輪(本丸などがある城内の平坦地)や湯沸場・枡形・馬乗馬場などを見て回りました。急峻な崖や空堀があるため敵は侵入しにくく攻撃されやすく、また湧水が豊富にあるため籠城にも適していることを学びました。さらに城が三川四山に囲まれていて、不落の名城と言われた理由が理解できました。
城内の大来目神社にある三百三十年祭の大きな石碑は、後世の地元の人達が建てたもので、城主である肝付氏が地元で慕われていたことをうかがわせます。
昼食後に、鎌倉時代に宋から渡来した禅僧・蘭渓道隆が寛元4年(1246年)に開いた日本初の 禅寺があった道隆寺跡に行きました。
色付いた紅葉を楽しみながら、五輪塔、宝塔、六地蔵塔、道隆禅師像と事跡碑などの説明を聴きながら見て回りました。
また、廃仏毀釈より破壊され土に埋もれていた道隆寺の遺物を、地主の福谷副会長が、昭和59年から役場に勤めながら一人で整備を始め、ほぼ30年をかけて現在のようなすばらしい姿にまで復元されたお話は、参加者に感銘を与えました。
最後に、福谷副会長からからお土産に、箴言「おいあくま」(怒るな、威張るな、焦るな、腐るな、負けるな)と、肝付町特産の辺塚ダイダイをいただいて、感謝しながら帰途につきました。
今回の配布資料や記念写真は、本ホームページの「大隅の情報」の中にある「現地研修」にあります。