11月8日に、「鹿屋ふるさと探訪会」の17名で曽於市の史跡巡りをしました。今回は曽於市文化財保護審議会会長の勝目興郎さんに案内をお願いしました。
最初に正月の「鬼追い」で有名な「熊野神社」に行きました。南北朝時代におけるこの地の支配体制の歴史をうかがいながら、深川氏の墓と考えられる大きな五輪塔、光明寺にあった石像と破壊されていない大きな二体の仁王像などを見ました。
次に元亀4年(1573年)に肝付軍と北郷軍の合戦で討死した「肝付竹友の墓」と江戸期に立てられた多層の供養塔を見学しました。最近、供養塔の4面に、消えかかっていますが、仏像を示す梵字が彫られていることが分かったそうです。
「芙蓉の塔」では、隊長の美濃部正少佐が戦果の少ない特攻をせずに、夜間飛行による奇襲攻撃を上層部に進言して認められ、さらに岩川基地は、昼間は滑走路に枯草を敷いて牧場にカムフラージュしたため、敗戦まで米軍にみつからなかったことなどを教えていただきました。多くの部下と住民の命を救った隊長の話に感銘を受けました。
都城の伊集院忠真が島津家に反乱を起こした「庄内の乱」の時に、島津方の月野城城主・若松石見守が伊集院軍の急襲を受けて戦死しました。その「若松石見守の墓」の周囲には、肝付系の宝塔・五輪塔が16基あります。ここで勝目さんから、石塔を注意深く調査すると、新たな発見があることを具体例を交えて教えていただきました。
最後に、西南戦争で亡くなった政府軍の戦死者を埋葬した「岩川官軍墓地」に行き、この地域での戦闘の様子をうかがいました。各人が74基の墓石を見て回り、墓石に刻まれている出身地や戦死の場所などについて意見交換しました。半数以上の兵士は百引村(現鹿屋市輝北町)で戦死していました。
今回は戦に関連する曽於市の史跡を巡りました。各場所で勝目興郎さんに、史跡への向き合い方も教えていただき、充実した探訪会になりました。
今回、2名の新会員が参加しました。「鹿屋ふる里探訪会」に参加を希望される方は、事務局(☎090-3735-1246、白井)へご連絡下さい。試験的な飛び入り参加も大歓迎です。