観音淵は、約3万年前に姶良カルデラが大爆発して降下堆積した軽石や火山灰からなるシラス層を、地下水が長い年月をかけてえぐり取って造り出した洞窟で、高さ8メートル、幅16メートル、奥行30メートルもあります。
シラス層の最下部から、湧き水が出ていて、名水として知られています。
洞窟の両方の壁際に、鎌倉時代初期から戦国時代まで約400年にわたって立てられた約90基の石塔群があります。
洞窟入口から見て右側の供養塔は、鎌倉初期にこの地方の開田作業を進めた富山一族の長谷三郎太夫義遠(はせさぶろうだゆうよしとお)一族及び、家臣団の逆修供養塔(ぎゃくしゅうくようとう)と見られています。左側の供養塔は肝付氏のもので、ともに鎌倉初期から富山氏と競って開田作業を進めたものと思われます。逆修供養塔とは、死後の安楽、極楽往生を願って本人が生前に建立する供養塔です。
なお、観音渕の入口の道路脇に、大正3年(1914年)の桜島大噴火後の災害復旧工事を記念する「堤塘工事紀念碑」があり、その碑に刻まれた建設費寄付者39名全員が女性という珍しいものです。