薩薩摩藩第9代・島津忠国が、戦場に必要な旗竿を確保するために、神社境内に今の熊本県から良質の竹を移植させたことから「旗山神社」と命名されたといい伝えられています。竹林は、いわゆる旗竿山の二ヶ所にありました。

この神社の創建は定かでありませんが、棟札の中で最古のものは慶長20年(1615)4月のものがあるので、それ以前であることは間違いありません。この年に大阪夏の陣があり豊臣氏が滅亡しています。

この神社の祭神については諸説あるので、ここでは『三国名勝図絵』の記録を紹介します。「本殿に南北2基が並び、南位を旗山大明神、北位を狩長大明神という。旗山大明神の祭神は大戸道尊(おおとのじ)、大戸閉尊(おおとのべ)、あるいは猿田彦ともいう。」狩長大明神の祭神には触れていません。

境内にある伽藍神と呼ばれる樟の老木は、幹廻り15.7m、高さ23.7mあり、樹齢は千年以上と言われています。町の天然記念物となっており、木の中は空洞になっていて祠が置いてあります。

旗山神社では大隅半島だけに伝承されている、きわめて古い形式の正月行事「柴祭り」(山仕事並びに農作業始めの祭り)が毎年1月2日から4日にわたって執り行われています。柴の悪霊祓いを行い、また神主が狩人になり、猪の模型を弓で狩る仕草や、境内をはじめ山や各集落を廻り、独特の唱え文句を歌いながら種蒔き・田植の所作を行います。

秋から冬にかけては、神木となっている大イチョウが境内一帯を黄色の絨毯にします。

(文責:朝倉悦郎)