含粒寺はもともと吾平町門前にあった禅寺で、南北朝時代に7代島津元久の長男・忠翁和尚が永享元(1429)年に建てた曹洞宗・福昌寺の末寺です。忠翁和尚は文安2(1445)年に亡くなりました。忠翁和尚と妹の墓もありました。御南御前(16代肝付兼続夫人、島津忠良・日新斎の長女)の墓もあったと記す資料もあります。
この寺の住職は33代続きましたが、明治2年に廃仏毀釈で廃寺となりました。今は、仲翁と妹の墓があったはずの石柵と僧侶墓石28基が残っています。
含粒寺は約440年間続きましたが、明治2(1869)年に廃寺になり、大姶良の南地区の玄朗寺と合体して移築されて、再興されました。廃仏後に再興されるのは珍しいことです。
ここの石造群は見事で、仁王像2対、地蔵、観音、薬師などが残っています。
門の横にある六地蔵塔〔側面に6体の地蔵像が彫られている〕の最上部の笠蓋の裏には、永禄八年(1565年)の庚申供養に結集した人々の氏名が墨書きで記されていて、455年経過した今でも文字は鮮明です。六地蔵信仰と庚申信仰〔庚申の日に徹夜して眠らず身を慎めば長生できるという信仰〕の習合体としては県下で一番古いものとされます。
(文責:朝倉悦郎)