大隅史談会の最新号の史論集『大隅』第63号に、竹之井 敏氏の「高山災害史」が掲載されています。それによると、大隅の先人達は自然災害と人災の記録と教訓を、後世に残そうと努力されたことが分かります。以下はその論文に書かれている具体例です。

天保7年(1837年)6月17日から肝付町野町で大火事が続きました。その無念さを忘れず、火の用心をするようにと、火事発生日の6月17日に、そばを食べるようにしたそうです。

 

昭和13年(1938年)の大水害では、当時の高山町で死者が118名も出ました。その後に災害記録として「水害誌」を発行し、昭和63年にその復刻版「いろはにほへと」を出版しています。

また,高山川の土堤(高山橋の近く)に水害史碑を建てて、水害の状況を伝えています。


説明板には、鹿屋市、吾平町、串良町の出水被害状況も書かれています。


史論集『大隅』は、鹿屋航空基地史料館に隣接する「鹿屋市観光物産総合センター」でも販売しています。