吾平地域にある4ヶ所の伝承地を紹介します。
「吾平山陵」は、神武天皇のご尊父のウガヤフキアエズノミコトとそのお后のタマヨリヒメの御陵(お墓)です。1874年(明治7年)に明治政府により、可愛山陵、高屋山上陵とともに神代三山陵の一つとされました。
岩屋の中の御陵は、全国 でも類を見ない貴重なものです。ここは景色と荘厳な雰囲気が伊勢神宮に似ているので、”小伊勢”ともいわれます。春から 7 月の中頃までは、清流に住む河鹿蛙(カジカガエル)の美声が聞こえます。
「鵜戸神社」は、今は吾平総合支所の隣にありますが、もともとは吾平山陵の奉拝所東側の高所にあり、鵜戸権現と称されていました。神武天皇ご夫妻、ご尊父、兄君3人の6柱を祀ります。
神野地区にある「大川内神社」は、神武天皇とお妃のアイラツヒメ(吾平津媛)、ご両親、お祖父様の山幸彦の5柱を祀っています。主神のアイラツヒメは、神武東征に御子のタギシミミ(手研耳命)を随伴させ、みずからは吾平の地にとどまり、ひたすら夫やわが子の武運長久をお祈りになったといわれています。
「飴屋敷跡」には伝説があります。海の神様で本当の姿は「わに」であるトヨタマヒメは、夫の山幸彦に「出産の時は本来の姿に戻らなければなりません。絶対に見ないでください」とお願いしました。しかし山幸彦は、約束を破ってのぞいてしまいます。心外に思ったトヨタマヒメは産んだばかりのウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の尊父)を残して、海に帰ってしまいました。
乳飲み子を残された山幸彦は悲嘆にくれましたが、一人の老婆が母乳の代わりに飴を練って成育されたそうです。この飴屋敷跡はその老婆の住宅跡と伝えられています。飴の原料であるお米がたくさん採れる田んぼ地帯にあります。