鹿屋市細山田字桜田には、農業用水を確保するために、山から伐り出した柴(燃料やたい肥に使う草木)を束ねて、川をせき止めるという「柴井堰」があります。日本ではここだけにしかありません。

ここに堰がつくられたのは、380年ほど前に始まった薩摩藩による新田開発に端を発する江戸時代初期です。当初の基礎には石や木杭を使ったとも伝っていますが、昭和25年(1950)にコンクリート製の基礎がつくられました。

串良川下流域にあるその川原園井堰(かわはらぞのいぜき)の柴かけが、今年は3月16日に約20名で行われました。この「川原園井堰の柴かけ(YouTube)」は鹿屋市の無形民俗文化財に指定されています。

3月に近隣の山から、しなやかで強いうえに葉が落ちにくい「マテバシイ」というブナ科の常緑樹を伐って、幹と枝葉に切り分けます。そして芯となる幹を真ん中に3~4本入れ、その周囲を葉付きの枝10本ほどで包んで竹で縛り上げて束(長さが150~170cm、胴回りが約50cm)にします。川幅43mをせき止めるために、150束ほども作ります。


飛び石のように設置された土台に横木を架けた後、マテバシイの束を川のなかに運び込み、横木に葉が多い方を下にして隙間なく立てかけます。柴を使うと川の下流に影響が出ないよう、適度に水を逃がす構造となります。


仕上げは筵(むしろ)を上流側に敷き詰めます。そうすると、用水路がある上流の水位が10センチ程上がります(以下の左側の写真はネットから借用)。


柴井堰で串良川の水位を高め、すぐ上流の右岸から取り入れられた水は、有里(ありさと)用水路を通り、串良地区約300haの田を潤しています。900もの農家が柴井堰からの水を受けて今も米をつくっているのです。


なお、米作りが終わると柴は半分取り外されますが、防火用水等としても一年中使用されています。

しかし現在、「柴かけ」には問題があります。マテバシイが年々入手しにくくなっていること、築70年近く経過した基礎が著しく老朽化していること、そしてもっとも難しい柴を束ねる作業ができる出水園利明さんの後継者がいないこと、高齢化により作業者の確保・育成が容易でないことなどです。柴井堰の「柴かけ」は、あと何回実施されるのでしょうか。

(文責:朝倉悦郎)