南九州には山岳信仰の歴史があります。山自身のもつ自然の霊力で人々の罪と汚れを癒やしてくれます。山で滝に打たれたり、木食行(もくじきぎょう)をして修行し、霊力をつけて、人びとの罪とケガレを除き、幸せを与えてくれるのが修験者(山伏)です。修験者は、平安中期から教団として真言系または天台系に属するようになります。なお、大隅の修験道は、もともと大崎町飯隈山が中心であったようです。
島津家は修験者を兵道家として重く用い、武士団の心の統一を修験者に任せたのです。一方、一般民衆は、修験者から災いや病を除いてもらうだけでなく、村の行事や年中行事、郷土芸能などの指導者にもなってもらっていました。
鹿屋市吾平町には、先祖が山伏であった鎌田家、牧家、白坂家があります。その内、白坂家は吾平山上陵にあった鵜戸権現の社殿が、戦国時代に洪水で流失すると、それを再興するなど、古くから吾平山上陵と深い関係がありました。その吾平山上陵の西方にある福師岳(282.6m)を、白坂家は霊場とし、修行したと伝えられています。
旧吾平町は、福師岳の大半を史跡と公園広場と森が共存する「福師岳町民ふれあいの森」として整備しました。白坂家の仏道修行場の跡は、以下の地図の3ヶ所に現存しています。
「権現穴」と呼ばれる洞穴には、白坂健一郎家の氏神様があると伝えられています。ここにある石祠には「~奉造立諸大権現 亨保十九(1734年)~」と刻まれています。権現信仰は古くから修験道と密接な関係があり、天台宗本山派の山伏とつながりがありました。白坂家の山伏は、ここに権現石祠を造立して修行したと考えられます。石祠の横には、苦しむ衆生を救ってくださる地蔵菩薩が安置されています。
「不動明王」は、阿多溶結凝灰岩の柱状節理が傾いてできた洞のような所にあります。この地区では、不動明王を火の神と称しています。ここに以前にあった石塔二基は土砂崩れで今はないが、その石塔に「奉建立不動明王 施主本良坊」「~明和六年(1769年)~奉造立本良坊秀尊」と刻まれていました。本良坊とは、天台宗本山派の白坂本良坊です。ここの不動明王は白坂山伏家の本尊であったと考えられます。この不動明王の前にごまだんを設け、ごま木を燃やして祈祷した後に、火渡りの修行をしたと考えられます。不動明王の隣に、頭部の欠けた地蔵があります。
「三尊石仏」は、福師岳の標高約200mの所にある岩屋の中にあります。ここにある石祠の銘刻から、天明2年(1782年)に白坂本良坊により、修験者の祈りと修行の場として建立されたと考えられます。一枚の岩に釈迦如来、文殊菩薩、阿弥陀如来の三尊が彫られています。三尊はいずれも中国風の僧服を着用し、同型の蓮台に座しておられ、向かって右上に太陽、左上に三日月があり、雲の群れが漂っているようです。
「福師岳町民ふれあいの森」ができあがった頃は、観光バスで見学者や観光客が来るような賑わいがあったそうです。しかし現在は、山中の通路に草木が生い茂っているので、修行場跡や広場に一人で軽装で行くのは難しいです。昔のように通路が整備されれば、史跡めぐり、観光、トレッキング、森林浴、キャンプなど多目的の森として蘇ることでしょう。