黒木次男氏が、小野勇市氏の功績をまとめた『不屈の挑戦』が出版されました。
小野勇市氏は、18歳の若さで、水のない広大な笠野原台地に水道を引く決意をして、難工事の末に竹管水道を敷設し、更に日本一の耕地整理までしました。
笠野原台地は、厚いシラス層からなる約6300haの広大な台地です。藩政時代から水を得るために、深い井戸の掘削から始まりましたが、その後のかんがい事業は進みませんでした。
飲水は遠方から馬で運んだり、深井戸から牛馬で縄を引かせて汲み上げていました。風呂は、井戸のある裕福な家の手伝いをしながら、「もらい風呂」をする人が多かったそうです。
小野勇市氏は明治16年(1883年)に、高隈村大黒に生まれました。18歳の時から水を集落まで引くという事業をまわりの人に語り、技術的な対策の勉強を続けました。
枦場に移り住み、同じ考えの岩元甚吉氏と出会い、明治34年(1901年)に大堀方限の総会に、竹を用いた水道の案を諮り、48戸の同意を得ました。苦労して人を集めて、明治34年に孟宗竹3,000本をつないで、難工事の末に山下から枦場まで8km水を引きました。まわりから絶対不可能と言われた難事業をやり遂げました。
その後、串良村の中原菊次郎氏や鹿屋町の森宗吉氏などの協力を得て、鹿屋町、串良村、高隈村の3町村で笠之原水道組合と笠之原耕地整理組合を結成し、昭和2年(1927年)に全域に通水しました。
水道敷設事業が終わってから、昭和2年から耕地整理事業が本格的に始まり、昭和9年(1934年)に完成しました。
その後、高隈ダムができて、日本初の国営の畑かん事業が順調に進んだのは、耕地整理が既にできていたからでした。
黒木次男著『不屈の挑戦』は、鹿屋市役所売店で販売(650円)しています。写真が豊富で、読みやすい本です。