古代史研究家の内倉武久氏によると、紀元前4、5世紀ごろから、南九州一帯を拠点にして九州全域を勢力下に置いていた「熊曾於(熊襲)」族という巨大氏族がいました。彼らは縄文時代晩期から弥生時代中期にかけて、漢民族に追い出された中国大陸南部からのボートピープルです。

彼らは製鉄・製錬技術、武具の製作技術、馬の利用方法、造船技術など当時の最新テクノロジーを身に着けて渡来してきました。

下の写真は内倉武久氏と関連の著書です。内倉氏のブログもあります。

熊襲族は巨大氏族である紀氏らと、九州年号を有する「九州倭(いぃ)政権」をつくり、全国に足跡を残しました。熊襲が強大な力を持った主な原因は、九州南部に多い金属資源から武器を作ったからだと考えられています。
下の写真は、吾平小学校の地下式横穴墓から出土した古代の鉄剣です。

先日、福岡県の「豊の国古代史研究会」の古代製鉄法の研究者が鹿屋市吾平町に来て、鹿屋に多い砂鉄を使って、武器の原料となる銑鉄(鉄原料を高温で還元した鉄)を作る実験をしました。

まず、その実験に使う砂鉄を鹿屋市にある高須川の河口と浜田海岸で採りました。

次に、砂鉄にノリを混ぜて、焼成炉に入れる砂鉄団子を作りました。

内側にレンガを張ったドラム缶の焼成炉で、吾平町の畑で砂鉄団子の加熱(焼成)実験をしました。焼成炉内に石灰石と木炭と砂鉄団子を入れて、送風機で多量の空気を入れて、6時間かけて1200℃まで加熱しました。なお、実際は3日間位かける加熱を、今回の実験では短時間で行いました。

その結果、銑鉄(刀などに加工する鉄原料)と鉱滓(不純物の砂などと石灰石の反応物)からなる黒い半溶融物ができました。半溶融物を砕くと、銑鉄が多い粒子は磁石に着きましたが少量でした。武器にするには銑鉄をたくさん作ってから加工します。

高熱の中で、焼成炉に木炭を供給し続ける作業は過酷でした。遠巻きに見学していても、炉の輻射熱で汗が出ました。

古代大隅にいた熊襲族は、多くの鉄剣や鉄の甲冑を作りました。今回の実験から武器の原料とする銑鉄を少量作るだけでも容易な作業ではなく、多くの鉄製武器を作った熊襲族は、ハイテク技術を持っていたことが容易に推測できます。

豊の国古代史研究会による今回の実験の動画もできました。