「鹿屋ふるさと探訪会」の20名で、3月31日に串間市、飫肥市および日南市の史跡をめぐりました。
説明役は会員にお願いし、飫肥城では井之上光徳氏、その他は福谷平氏です。

最初に串間市にある浄土真宗本願寺派の「正国寺」を訪れました。この地域で廃仏毀釈を免れた唯一の寺でした。浄土真宗を厳しく弾圧する薩摩藩に対して、大隅の信者はもちろん薩摩半島からも「ぬけ参り」として参詣する人々が多かったといわれています。お参りの人々は舟で福島に着岸、歩いてお寺まで来ていました。お寺側も本尊の裏に”薩摩部屋”を作るなどして、信者を手厚く庇護しました。立派な山門、梵鐘、親鸞聖人像などがあります。

次に串間市奈留古大内の野邉八幡宮に行き、日下部氏の系統の「野辺氏の墓」を見学しました。他にはない形状の宝塔がありました。野辺氏は建武元年(1334年)から約160年間、櫛間院を統治していました。南北朝時代には、野辺氏は肝付氏と一緒に南朝方として戦っています。

「飫肥城」は三方を川に囲まれた一段高いシラス台地に曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城です。戦国時代の103年間は伊東氏と島津氏により激しい攻防が繰り広げられ、難攻不落の名城として知られています。

飫肥杉が植えられた本丸跡で、土塁に登り、回りにある空堀りや下方の高い絶壁を望みました。

最後に日南市南郷町大字津屋野にある「安楽下総介の供養塔」を見学しました。安楽下総介は,戦国末期、大隅国肝付の領主・肝付兼続の部将でした。19歳の副将の安楽下総介は総大将の薬丸湖雲とともに伊東氏と戦い(偽戦と伝わる)、ここで戦死しました。ここが実質的に肝付氏の終焉の地でした。

集合写真は、昼食をとった魚料理「びびんや」前で撮りました。日南市の油津漁港の近くにあります。「びびん」とは当地の方言で「魚」のことだそうです。

久し振りの遠出でしたが、天気に恵まれ、花見を楽しみながら、貴重な史跡を学ぶことができました。