田の神様(タノカンサア)は、冬季は山に戻って山の神になり、春の稲作開始時期になると里へ下って五穀豊穣の田の神になるものとして、崇められてきました。また、子孫繁栄の神様ともされています。

田の神祭りなどの文化は全国各地にありますが、田の神石像は旧島津藩領の鹿児島県とえびの市や都城市などの宮崎県の一部にしか存在しません。石像が作られたのは、江戸時代(西暦1700年ころ)以後です。

八木幸夫著「田の神石像、誕生のルーツを探る」と「田の神石像・全記録」によりますと、田の神石像の型は、「仏像系」「神像系」「農民型その他」に3分類され、さらに各系で細かく分類されています。以下のイラストは「神像系」の一例です。

八木幸夫氏によると、出水山地の紫尾山(しびさん)系の山岳仏教を母体とした「仏像系」の田の神と、霧島連山の大噴火よる災害に対する復興のシンボルとして作成された「神像系」の田の神が主流です。

各型の分布には地域性があり、また同じ型でも地域により石像の被り物、顔の表情、衣類、持ち物などが異なります。以下のイラストはその一例です。