1945年(昭和20年)6月23日に沖縄戦が終結し、米軍では同年11月1日に大隅半島の志布志湾、薩摩半島の吹上浜、宮崎県の宮崎海岸に同時に上陸するオリンピック作戦が計画されていました。
米軍の志布志湾上陸を阻止するために、1944年(昭和19年)8月から志布志湾の両岸に迎撃のための軍事施設が構築され始めました。砲台は数か所に設置されました。その一つの波見砲台が、最近、地元の方々の探索で発見されたので、案内していただきました。
波見の戸柱神社横にある階段から権現山を登り始め、藪をかき分けて進み3ヶ所の砲台跡を確認できました。3砲台跡ともに、以下の写真のように石積みの擁壁とコンクリートからなっています。砲台跡の中は、土砂が埋まっていました。
砲台跡の標高は、高いもので約60m、低いもので約30mの位置にあります。砲台跡はもう一か所あるとのことで、引き続き調査が必要です。
3砲台跡は、昭和17年(1942年)に旧高山町が建てた「神武天皇御発航伝説地」の石碑近くの山中にあります。急峻な斜面を下りた所にあるので、一人で行くのは危険です。なお、これら砲台は、使用するに至らないまま終戦を迎えました。