約600年間も大隅地方を統治した肝付氏の歴代の墓は、肝付町前田の盛光寺(じょうこうじ)跡にあります。
県道542号線から細い道路に入ります。入り口には案内板があります。

盛光寺は第5代兼石(かねいし)が1272年(文永9年)父第4代兼員(かねかず)の菩提所として創建した寺ですが、今はありません。

第8代兼重(かねしげ)から第17代良兼(よしかね)まで、250年間にわたり歴代当主やその妻らの供養塔がまつられていましたが、明治29年の土砂崩れで石塔の大部分が埋もれてしまいました。
3回の発掘調査があり整備され、113基が安置され、平成28年に竣工式が行われました。

安置されている当主の供養塔は、8代兼重、9代秋兼、10代兼氏、11代兼元、12代兼忠、13代兼達、14代兼久です。

16代兼続(かねつぐ)は、島津忠良の長女・御南を妻として迎え、領土を最大としたことなどで知られていますが、供養塔は志布志にあります。御南の供養塔は盛光寺跡にあります。