“ 道の駅たるみず 湯っ足り館 ”の敷地内の桜島寄りの西端に「近代造船発祥の地・国旗日の丸のふるさと」と刻まれた石碑を台座にして、帆船の模型が載ったモニュメントが設置されています。

幕末、西欧列強が東アジアに進出してきた時代に、島津家第28代当主・島津斉彬は海防の重要性を認識し、溶岩で埋没する以前の「大隅半島と桜島の間の海峡」の3ヶ所(垂水の牛根、桜島の瀬戸・有村)に造船所を設け、洋式帆船を建造しました。

 

日本の船を識別する目印が必要となり、島津斉彬が幕府に提案したのが、一説に平安時代末期のころからあったといわれる“白地に赤い丸”の日の丸です。これが幕府に受け入れられ、安政元年(1854年)に日本の総船印となり、万延元年(1860年)に国旗になったのです。
安政2年(1855年)、薩摩藩が造った日本最初の洋式の帆船軍艦「昇平丸」は、幕府に献上される際に、初めて「日の丸」を掲げ、鹿児島から江戸へ回航し、品川に入港しました。


上記モニュメントの横には、「海軍航空隊櫻島(牛根)基地の碑」もあります。