江戸時代末期に起こった生麦事件(1862年)をきっかけにした、薩英戦争が始まる直前に築かれた砲台の跡で、当時の原型をとどめているのはここだけです。

海に面して花崗岩を積んだ弓形の石垣が60メートルにわたって築かれていて、大砲二門を据え付ける凹部が残っています。

対岸に開聞岳を望む鹿児島湾の入口に位置しており、近くに島津斉彬が巡検したとき(1853年)に使用したと伝わる手洗鉢もあります。