笠野原台地にはシラスが厚く堆積していて、保水力に乏しく、農業開発を阻んでいました。この地に強制移住させられた人は、水に乏しく、生活用水と農業用水の確保に苦しんでいました。
そこで、台地のあちこちに生活用水用の深井戸が掘られました。深さは30~83mです。「土持堀(地元では「ツッモッボイ」と呼ぶ)の深井戸」が掘られたのは、文政年間から天保年間(1818年から1843年)の頃です。

直径約90cmの円筒の素掘りで、深さは約64mあります。深井戸のため、ツルベを人力で引き上げることができない ので,牛に綱をひかせて水をくみ上げていました。この深井戸は1982年(昭和57)に鹿児島県の指定史跡に登録されています。

1927年(昭和2年)に笠野原簡易水道ができて、生活用水の苦労がなくなりました。さらに1967年(昭和42年)に高隈ダムが完成して、大規模な灌漑が行われるようになってから、笠野原台地は鹿児島県内有数の畑作・畜産地帯となりました。

なお、水に苦しんだ笠野原台地の歴史を残そうと、下高隈町の安藤一夫氏が約100年前の茅葺屋根の民家と牛小屋をゆずりうけて1990年(平成2)に開設されたのが、「笠野原開発資料館」です。昭和初期の笠野原台地の農家が再現され、当時の生活用具や写真など約400点の資料を見ることができます。問い合わせ先は安藤製茶工場(☎0994-44-8508)。