昭和19年(1944年)2月6日、定員超過で垂水桟橋を離れた第六垂水丸(乗船定員340名)は、鹿児島に向けてかじを切った。しかし間もなくバランスを崩して転覆、沈没し約540名が犠牲になった。

大隅半島と鹿児島市を結ぶ航路は、当時1日12往復あった。しかし、何隻かの船が軍に徴用されてから4往復に減便された。その点も多くの犠牲者が出た要因と思われる。まさに戦争が引き起こした悲劇である。

犠牲者は大隅の全域から出ている。

今年は第六垂水丸が沈没してから80年。事故について広く知ってもらうため、今月25日までパネル展を「垂水市立図書館」で行っている(無料、13,19日休館)。
パネル展は、事故犠牲者が多い地の「鹿屋市役所」、「肝付町文化センター」、「南大隅町根占図書館」でも開いている。